◆「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」
村上春樹の青春3部作は、数え切れないくらいに読み返したけれども少しも色褪せない◆
村上春樹の作品が大好きだった。近年の著作に私の憧れた姿はもうないけれども、それでも春樹の作品から文章を学び、人間関係をこじらせた(笑)。というわけで昔綴った日記が見つかったので、備忘録としてUPしておきたい。
「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」はじまりの文章から世界に引き込む3部作。最近の作品を見るともうこのような傑作は期待できないのだろうか?
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」『風』
「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。」『ピンボール』
「新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた。」『羊』
病的に春樹に犯されている者に訴えかけるメッセージ。僕に友達?
誰とでも寝ちゃう女の娘のエピソードは短編としても最高傑作であると思う。
●「風の歌を聴け」19歳の夏から喪失は始まっていた。どこに救いがある?●
「ねぇ、人間は生まれつき不公平に作られている」
鼠の魂の叫びとも呼べる心の声。
「あんたは本当にそう信じてる?」
「ああ。」
「嘘だと言ってくれないか?」
鼠がはじめて僕に漏らした本音は共感を求めた救いの声ではなかったか? 19歳の夏の夜に絶対的な喪失感を抱える僕。鼠と僕。最初で最期の友達。
●「1973年のピンボール」満たされぬ想いと泥沼の中の希望●
「殆ど誰とも友達になんかなれない。」
ドストエフスキーの予言を固めたと語る僕の1970年代。
僕が去った街でジェイに語る鼠。
「俺は二十五年生きてきて、何ひとつ身につけなかったような気がするんだ」
お互い靴箱の中で生きていたのではないか?
ピンボールという過去の幻影に心揺れ、決別を図る僕。双子は彼の孤独を埋めることはできなかった。鼠が街に別れを告げる。
ジェイと鼠の最期の会話は何度読んでも心震える。
●「羊をめぐる冒険」圧倒的な喪失感と絶望 鼠は死を選び僕は生きる●
そして羊。
「あるものは姿を消し、あるものは死ぬ。そしてそこには悲劇的な要素は殆んどない」
彼らが再び出会うキッカケとなるこの羊というファクター。本音と建前。
「歌は終った。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」
メロディーがレクイエムに聴こえるのは私だけだろうか?
そして世界から隔離された北海道の山奥で再び二人は出会う。
デーゼは人間の弱さ。
初めて鼠が僕に自分の弱さを晒す。
「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや…」
僕にどのように伝わったのだろう?
19歳の夏の夜から感じ続けていた喪失感の最期の欠片。
「君は何を学んだ?」
ハートフィールドのメッセージが木霊する。自分は何を学んだ?
3部作。村上春樹。
出会わなければここまで人格形成に問題を抱えることはなかっただろうと思いつつも、「もし」なんて科白は世界に存在しないだろうとも思う。
村上春樹作品の真髄を味わうのであれば、近年の著作ではなく、3部作と「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を強くオススメしたい。