★「SEALDs」の「学生デモ」から見る民主主義と自己主張の考察★

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◆SEALDs(シールズ)の学生デモは自由と民主主義の主張ではなく、中二病にも似た自己表現・自己実現の舞台かもしれない | 学生運動の陰に見える若者の貧困◆

 

若い時の失敗ってありますよね。自意識過剰で世間知らずで、自分の可能性の大きさを過信して、赤っ恥をかく。恥の多い人生を送って来たため、私も消したい過去がいくつもあります。いま思い出しても、顔から火が出そう。でも、良いんです。それが若さの特権ですから。めいいっぱいの自己主張や、向う見ずなチャレンジをして、恥かいて、身の程を知って、大人になる。他人との距離を知り、教養を身に付け、世の中は思い通りになることなんてひと握りなんだと知る。自分の小ささを恥じて、失敗を繰り返さないようにしようと学び、成長する。昔の失敗があったからこそ、いまの自分があるんです。今でもたまに大失敗するのが玉に瑕ですが(この歳になると恥かきたくないんですけどねw)。そしてもう一つ経験として気づきます。世の中にはいろんな価値観があり、いろんな人がいるということを。理解出来ない思想や価値観(自爆テロなんてまさにそうですね)があり、絶対に相容れない人がいる(平気で人を傷つけたり、痛みを知らない人など)。世界は面白いけれども、おそろしい。人は失敗を通じて生きていく上での処世術を学び、トラブルを避ける知恵や嗅覚を磨く。それが大人になることであると思うのです。

 

 

●自由と権利と義務と責任。SEALDs学生デモへの考察が秀逸●

 

いきなり自分語りをして恐縮ですが、私が「SEALDs」(シールズ)の学生デモを見たときに最初に感じたのは以上のことです。こんな落書きは投稿するつもりはなかったのですが、昨日山本みずき氏のコラムを見つけたのです。とても鋭く的確な考察であると思いました(是非ご覧下さい)。
→『iRONNA』特別編集長「異論に耳塞ぐSEALDsに危うさ感じる」

 

本当に嫉妬してしまうくらいに聡明です。自分の大学3年生の頃を振り返るともう恥ずかしくて死にたくなります。いまでもこんな冷静で的確な考察なんて出来っこない。でもね、自分が落ちこぼれだからこそ思うんです。賢い人間もいればそうではない人間もいっぱいいる。思慮深く行動する人間もいれば場当たり的に行動する人間もいる。だから、彼女の意見には私は全面的に賛成なんだけれども、反対派に叩かれたり大変だろうなっと、老婆心ながら心配になるのです。余計なお世話ですね。

 

●自己表現する場を持たない若者たち。学生デモの陰に若者の貧困があり●

 

私が思うにSEALDs(シールズ)の学生デモは「自己主張したい!」「自己表現したい!」というフラストレーションいっぱいの若者を中心にデモンストレーションをいたのでしょう。だって、主張していることは論理的にまったく筋が通っておらず、無茶苦茶と言っても過言ではない。「戦争法案?」「アベ辞めろ?」もう反論する気が失せるくらい幼稚な主張でしょう。というか、表現が下劣過ぎて気分が悪いです。考え方や主義主張はそれぞれなので否定をするつもりはないのですが、世の中はそんな簡単ではないでしょう。物事を単純化し過ぎていて、もう聞いてて恥ずかしいのです。複雑な世界で単純化した言動をして、それが正しいと信じている(信じているのかな?)、青いではないですか。青春ではないですか!

 

羨ましいなって思いました(暇だなぁというのが一番大きな感想ですが)。情熱が傾けられる対象があって、仲間と大騒ぎ出来る。テレビに映る機会もあるかもしれない。政治経済について学ぶキッカケにもなるし、自分の正しいと思うことを信念を持って取り組めることは素敵なことです。だから、学生がデモンストレーションをすることには、私はまったくもって好意的です。


それでも学生デモの裏には非常に暗い現実が控えていると思うのです。そう、学生の貧困です。学生というか、日本の中流社会自体が貧困に陥っていて、日ごろから我慢を強いられている。表現がちょとキツイかもしれなけれども、現実をわかりやすく表現するとこの言葉がぴったりだと思うのです。日本学生支援機構の「平成24年度学生生活費調査」によると、何らかの奨学金を利用している大学生の割合は52.5%と過去最高を記録したとのこと。もうね、親の仕送りだけで学生生活を送れるのは、一部の恵まれた学生だけになりつつあり、学費や生活費さへ自分で稼がなければならない学生が結構な割合でいる。


遊行費のためのバイトであれば納得もいくし、気楽ですが、生活のためのアルバイトは辛いでしょう。そして、卒業後には奨学金の返済がスタートするので、できるだけ安定して高給な企業を目指すけれども、優良企業/人気企業のハードルは高く、ブラック企業や非正規雇用のリスクに怯えざるをえない。もうね、ストレスフルで、社会に対しての不平不満もそりゃいっぱいでしょうよ。年金もほぼ確実に納付分以下しか受給出来ないって見えていますから。だから、学生のデモは法案や民主主義への意見ではなく、こんな社会にした大人と、現実社会への抗議なんです。私をスキーに連れてって、ニコッ(^o^)/でちやほやされる時代は、はるか昔の出来事で、女子大生にご馳走するだけで、恐縮なほど感謝される。それぐらい奢られ慣れていないんですね(もう2・3年そんな機会もありませんが(>_<))。


 

●SEALDsの学生デモを安易に持ち上げ民意の代表のように報道するマスコミ●

 

ただし、一部の学生を中心とするデモンストレーションをマスメディアが代表的な「民意」の主張だとか、煽るような報道をすることに対しては、心の底から辟易してしまうのです。この国は、マスコミが油に無責任に火を注ぐ。いろんな考え方があって、国防や外交はもっともセンシティブで物凄い複雑で難しいのをわかっていながら、率先して単純化する。もうね、ため息を超えて吐き気をもよおしそうでした(汚くて失礼)。ここにジャーナリズム精神はありますか?

 

なぜ自分の主義主張を相手に押し付けようとするのでしょう? 問題があればそれを明確化して、有益な方向へ変えようと議論しないのでしょう? わかります、面倒くさいですもんね。不平不満をぶつけて、文句を声高に叫ぶのが楽ですもんね。この世界に入って(地方議員になって)、物事は自分の思い通りになると信じている人や、思い通りにならないことがあると激高する人、自分が正しくてそれに従わない人間は間違っていると決め付ける人が少なからずいて(というか、わずか半年でこれまでの人生で会った自己中な人間に匹敵する数w)、もの凄くエネルギーを使います。ちなみに本日も2人会いました。なるべく関わらないように避けていたのですが、気をつけていても犬に噛まれる時は噛まれるし、車に轢かれる時は轢かれる。それに比べれば全然大したことではないと、前向きに捉えています。凄い疲れたけれども。

 

 

●問題解決に必要なのは対話である。理想を語る前に現実問題を理解しよう●

 

なぜ「自分はこう思うけれども、どうだろうか?」と聞けないのでしょうか? 相手を尊重して、思いやりを持って接することが出来ないのでしょうか? いや、私もそこまで難しいことを求めるつもりはありません。あなたは「自分が正しい。絶対に間違っていない」と思っていても結構です。私も少しだけそんな傾向があるかもしれませんし(`・ω・´)。でもね、自分の正義を相手に押し付けることだけは控えた方がよろしいかと思うのです。だって、どんなに声高に叫んだとしても、人の価値観はそんなに簡単には変えられないし(ほら、鏡を見てごらん?)、そもそも、論理的な説明が聞こえてこないから(なんで気づかないんだろう。体系的な教育を受けてこなかったのかな?)。まぁいろんな人がいて世界は面白いということかもしれません(本当に疲れるけれども)。


「戦争反対!」「原発反対!」「格差反対!」えぇ、まったくもっておっしゃる通りです。全面的に賛成です。もう的確過ぎて頭が下がります。では、戦争にしないために、領土や財産の侵略を防ぎながら平和を維持するためにどのようにしたら良いのか? 資源のない日本でエネルギー問題をどう捉え、産業競争力を維持していくのか? 資本主義は嫌いですか? グローバル競争を勝ち抜き、国富を増やすために合理的な選択も必要ではありませんか? なんて意地悪なことを言うつもりはありません。性格悪くて恐縮です。私が言いたいのは、少しだけ頭を働かせて、考えよう。あなたは正しいかもしれない(自分の正義を確信していても結構)けれども、相手にも正義と主義主張があること忘れないで欲しい。


※山本みずき氏の記事に早い目に感想綴りたかったのと、今日、犬に噛まれた(形容ね)ので、ちょっとだけセンチメンタルになって、綴ってみました。後日もう少しちゃんと論理的な構成に直しますm(_ _)m